豊栄産業 アニー10について


Anny10
ルックスは完全にニコンSシリーズかレンジファインダーのコンタックスである。

☆ジャンク度☆
不具合無し
撮影可能


Anny10 Anny10
デザインの盗用と言うよりデフォルメ感が微笑ましい。

Anny10 Anny10
 レンズは「HOEILENS 5cmF8」、固定焦点の単玉である。
 シャッターもインスタント(I)とバルブ(B)のみ。絞りはF8とF11の2段切り替え。


Anny10 Anny10
 ダミー距離計窓はシャッターロックを表す。赤だとロックがかかっている。
 本当はFFなのにミッドシップのようなダミーエアインテークを施すよりも、各段に微笑ましい。


Anny10 Anny10
 シャッターロックレバーがちゃんと(?)フォーカスギアの位置にあるのが真面目さを感じる。
 巻き戻しノブのように見えるギザギザ付きの突起も、ダミーである。


Anny10 Anny10
 割とバランスが取れているように見えるのも、元ネタがイイからか?

Anny10 Anny10
 フィルムガイドは湾曲していて、単玉レンズの収差を軽減する。

Anny10 Anny10
 ボルタ判カメラのアイデンティティとなる赤窓。
 例え「35」を冠した素敵なカメラをネットオークションで見つけても、この赤窓が確認できたら、スルーが無難である。

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 こんな立派な革ケースが付いて250円だから安い。

Anny10
 こんなに凝った裁縫の革ケースなんて、高級機でもなければ今では作れませんな。

 拙僧も好き物であるが、一応分別があって撮影できないカメラは拾えわないことにしている。いや、実際には不動のジャンクを拾ったりもするが、これは運よく直れば使えるので、一時的に撮影できない状態と言えるだろう。勿論、拙僧のやっつけ仕事だから、大抵の場合は止めを刺すことになる。それが40歳を手前に気分が不安定になってるせいか、乾板カメラに手を出し始めた。当初はロールフィルムホルダー付きのブツを手に入れたのだが、どうもこのロールフィルムホルダーが使い物にならない。それで諦めれば、まだ賢いのだが、乾板の代わりにプラ板にでもロールフィルムをカットして貼りつければ撮影に使えるような気がしてきた。別に本来のフォーマットを活用しなくても良い。平面性からすればシートフィルムをカットする方が都合がよいらしいのだが、ロールフィルムをカットしたものなら手持ちの現像タンクで処理できるし、なにしろ大判フィルムは高いので選択肢にはない。別に拙僧は、これで商売の為の写真を撮るつもりは無いのだ。そんな妄想の影響で次々とプレートカメラが集まってくる。この種のカメラのビッターの数は多くは無いようなのだが、資金力のある方が多いのでイイ値段になってしまう。しかし、そこは時間が売るほど余っている拙僧だから、本当にカメラに疎い方(偽装の場合はすこぶる多い)が「インスタントカメラ」のカテゴリーにミス出品したブツをコツコツ撃破するのだ。今だ使ったことはないが、乾板カメラはロールフィルムの格納部や巻き上げ・オートマットのギミックが無いのですっきりとしてかっこいいのでる。それに、時代的に所得階層の高いところを狙っているから、金がかかっているのである。これが豊富にインフラが整っていたら、まず拙僧の海岸に届くまい。
 ボルタ判というもの興味はあった。乾板カメラに比べれば、ずっと所得層の低いところと言うか、子供のおもちゃに毛が生えた程度のニーズが主流である。それでも、どちらかと言うとスーベニールとしての意味合いが強く、実際に撮影を想定したか怪しいミゼット判カメラやペタルに比べればカメラとしての体裁は整っている。50〜60年代の裕福と言えない日本のボーイズカメラとして重要な地位を築いていたようだ。もっとも、拙僧は70年代の生まれなので、原体験としてボルタ判カメラの記憶が無いのは残念ではある。まあ、何れにしろ妹と1つの目玉焼きを分けあっていた所得層の拙僧には届くまい。
 本カメラも本気で使おうというよりは、立派な革ケースが付いて250円と気の毒な値段が付いていたから、観賞用として拾ったのだ。スプールが付属していたが、まあ、偶然、ボルタ判フィルムが未現像で残ったカメラか未使用のフィルムでもジャンクで手に入れたら、戯れないでもないという気持ちだった。ボルタ判フィルムは裏紙付きのロールフィルムの体裁をしているが、実際のフィルムはライカ判フィルムと同じサイズだと聞いていたので、その気になれば巻き替えて使えないことは無い。そういうコンテンツも見聞きした経験があるのだ。
 ところが、手元にあると撮影したくなるのである。丁度、格安でボルタ判カメラを追撃し、スプールが1セット揃った。そこで思いついたのが、用は裏紙は遮光できてカウント番号が記述されていればいいのだから、120判ロールフィルムをカットし手書きでカウント番号を書き込めばいいのではと思いついた。拙僧は下手の横好きでフィルム現像もするから、裏紙ならいくらでもある。丁度、印画紙用にカッターを確保してあったので、カットも容易だと思われた。カウント番号は横ピッチはライカ判カメラと同様であろうし、縦ピッチはカメラの赤窓を実測すればよい。その辺りの作業の詳細はコンテンツもご参照いただきたい。かくて、ボルタ判趣味と言う恥ずかしい趣向が始まるのだ。
                 ☆           ☆
 ボルタ判カメラが歴史上に登場するのは1936年であり、ドイツのボルタウェクルより裏紙付き無孔フィルムを使用するボルタビットが登場する。翌年には会社もカメラもフォタビットと改名するのだが、「ボルタ」という響きが新興エネルギーである電気の「ボルト」と互換が似ていて勢いがいいからなのか、同年の37年には本邦でボルタックスが登場している。箱根細工的なミニチュア好きの本邦では比較的廉価なこともあってムーブメントになった。無論、現在の言うところのカメラ女子的なトイカメラとしてではない。何せ戦前の話だから「アートに撮れる不思議なカメラ」としてではなく、ライカどころかセミミノルタにも届かないアマチュアの方が本気で取り組んでいたのだろう。本邦のボルタ判カメラ史は戦争で一旦は中断する。敗戦直後はカメラどころではなかったから直ぐには復興しなかった。ミゼット判カメラは海外のコンテンツでちょいちょい引っかかるし、ベルのような海外ブランドのカメラも見られるのに、ボルタ判カメラの情報が限られるのは、ちゃんと写るベスト判カメラよりもチープで、スーベニールとしてはミゼット判やペタルに比べてキュートに欠けるのが敬遠されたのだろうか。ここで言う海外と言うのはアメリカ合衆国のことである。単純にコダックがボルタ判フィルムを出さなかったからかもしれないな。
 それでも、40年代の後半あたりからは本邦の経済も安定化したのかボルタ判カメラは再び普及し始め、60年代の初頭までがムーブメントのピークだったようである。ニーズは戦前とガラッと変わってボーイズカメラのカテゴリーだ。流通も通常のカメラ・ケミカルルートでなく、玩具屋や(多分)駄菓子屋の店頭に並んでいたそうだ。ちょっと断定的でない文末を使うのは、拙僧はギリギリ70年代の生まれなので玩具屋にボルタ判カメラやフィルムが並んでいた記憶はない。既にゲームウォッチからファミコン、或いはガンプラに熱狂していた世代である。埼玉のイルクーツクとはいえ、百貨店の1000円福袋にはXウィングのフィギアが入っていたから、流通が過疎だからとは言えないだろう。今ならレアなXウィングのフィギアが1000円の福袋に入っていた辺りからも、拙僧の故郷の文化的な未熟さが感じられて嬉しい限りだ。
 ボルタ判カメラの中でもアニーはよく見かけるブランドである。拮抗するのがメイスピーやプリンスでスタート(と、その類似品)などもよく見かけるが、ホビックスとなると少々レアになる。アニーは豊栄産業のブランドである。「豊栄」というのはいかにも縁起が良く、先行き不安なん経営者の心を安らかにするに十分だろう。現在でも豊栄産業という会社は多くあるが、本カメラとは関係なさそうだ。見てくれは、レンジファインダーのニコンかコンタックスである。今なら良識的大衆代表を自負する方々がクレームの電話を架けてきそうだが、当時はおおらかというかニコンやコンタックスを買える方々からすれば「ボルタ判カメラなんかの意匠をイチイチ相手にするのも嫌だ」というのが本当の所なのではないか。日本ライフのレプリカシリーズが案外イイ勢いで21世紀を生き抜いているようにハートウォーミングな話だ。豊栄産業は良い意味で面の皮が厚く、その後にアニー10スーパーとしてニコンSPの意匠を拝借している。更にアニーSPとして一眼レフ風カメラを出している。アニーSPは近年の大陸系一眼レフ風カメラがアサヒフレックスやプラクチナ(を模しているとも思えないが)のように肩にビューファインダーがあるのではなく、ダミーペンタ部にビューファインダーがあるのでパララクスの影響も小さくて済むし、後ろから見ると本物の一眼レフカメラに見える。無論、赤窓でボルタ判の素性が分かってしまうのだが。SPはペンタックスSPの威を借りたのかと思ったら、アニーSPの登場が60年でペンタックスSPの登場が64年だというからアニーSPが先輩であった。登場時期は不明だが豊栄産業はアニー35として普通のライカ判フィルムを使用するカメラも出している。拙僧も持っているが、ライカ判フィルムを使うとなると、フィルムカウンターだとか巻き上げのオートストップだとか巻き戻しとか面倒なギミックが必須となるから、ぐっと普通のカメラに近づいた。それはそれで便利なはずなのだが、そうなると逆に面倒になって一度も使わないのだから人間の(それも拙僧のような底辺の)欲求の難しさだ。再放送の水戸黄門は見てもリアルな水戸黄門を見る気になれないのと同様だろう。
                 ☆           ☆
 ああ、前章だけで2ブロックも使ってしまった。実際に手に取るとなかなか感慨深いカメラである。拙僧の個体は半世紀の時間が経過したとは思えない程、綺麗なコンディションである。昌平の航空博物館のハイライトであるTu−4より、ずっと状態がイイ。ブリキとされる外装も底板以外は殆ど傷が無い。恐らく大切に使ったか、一度フィルムを通して懲りたのだろう。リアルに本カメラを入手した経験のある20世紀少年な方々のコンテンツやブログによると、玩具屋で1600〜2800円とかなり幅がある。これについては、つい半世紀前の日本では同じ製品の供給量と価格が同一でなかった点に注目しなければならない。我々が高校生の時分でも秋葉原で20万円のパソコンが地元の民族系量販店では30万円もした。勿論、物の出来は共産圏とは比較にならない。ノルマ主義のやっつけ仕事で、あちこちで接着剤がはみ出していて、事もあろうかファインダーに指紋を付けるような恥知らずとは一線を画す。物議の対象になりがちなニコンS2ルックスだって、丁寧に再現しており好印象である。こういう事に目くじらを立てるの方と言うのは、多分、ファミレスのメニューベスト10ランキングを全部当てないと番組が終わらないとかのつまらない番組で「料理は全てスタッフ一同美味しく頂きました」とスーパーが出ると、満足する程度の想像力なのだろう。大体、メディア発信側のお作法がどの程度なのかはP−CanTVの不祥事を取り上げるまでもない。
 ああ、また脱線してしまった。無論、距離計などは非搭載である。そもそも、本カメラは固定焦点だから、そもそもフォーカシングが出来ない。だからと言って、ただのイミテーションで片づけるのが惜しいのは、測距窓に見える小窓が、ただの飾りではなくシャッターロックを確認するために使っているのだ。つまり、ロック状態だと小窓に赤い板が現れるのだ。芸が細かいのが、このロックレバーが丁度本家のフォーカシングギアの無限遠ロック解除レバーの位置にあって、異彩を放っているのである。これなど、豊栄産業のデザイナーは「これよくできてるでしょ」とニコンの(いや、ツアイス・イコンのか)広告担当者に自慢しに行きたい気分だったのではないだろうか。ビューファインダーは素通しで見やすい。ブライトフレームも無く、その程度フレーミングが正確は怪しいな、というか、本カメラを近代の戦場に用いる方々は有段者であるから、ファインダーなど大体にしかあてにしないだろう。ビューファインダーが欲しいというペンデジカメラ女子に折り畳み式ファインダーのセミミノルタを渡したら、ファインダーに十字線が入っていてピントが合わせられないと言っていた。ジュリーでなくても酔えなくなる話だ。カメラのおでこにあたる部分には赤字にシルバーの文字で「Anny」のプレートが光る。このプレートの質感には覚えがある。拙僧は超合金ロボの世代だが、本来は複雑なモールドを形成しているはずの胸の部分にフラットな板がはめ込んであり、「ゲッターロボ」と書かれていると子供だましだと不満だった。この赤字にシルバーのフォントはコダックから来ているのではと思うのだが、確証はない。
 レンズは単玉の50mmF8、前述の通り固定焦点で最短撮影距離は2mである。鏡筒にはそれらしいモールドが施してあるが、もちろんオフセットされていて動かない。シャッターは単速でインスタント(I)とバルブ(B)のみ。インスタントは約1/100とする説が多勢である。多分、プリミティブなリーフシャッターでチャージの必要は無く、レリーズボタンを押下すれば何度でも多重露光が可能だ。絞りはF8とF11の2段で、鏡筒のレバーを操作するとF11の穴が開いた柚木がレンズを覆う。注意しなければならないのが、このシャッター速度切り替えレバーと絞り切り替えレバーが不用意に動くので、レリーズボタンを押下したらバルブだったり、絞りの柚木が中途半端にセリ出ている場合が往々にある。インスタントだとレリーズ押下と開放で2回音がするシャッターが、バルブの場合は1回しかしないので気が付くが、絞りは全く気付かないのでレリーズ前には確認が必要だろう。
 レリーズ後は背面の赤窓でフィルムの進行を確認しながら巻き上げる。120判の赤窓式カメラを使った経験のある方なら問題ないだろう。ボルタ判フィルムは基本的には120判フィルムのミニチュア版だから、使い勝手は同様である。本カメラは1コマ24x36mmなのだが、ボルタックスなど24x24mmのカメラも存在する。詳しくはボルタ判フィルムを使おうで報告しているのご参照いただきたい。構造上、巻き戻しという行程は不必要だが、軍幹部にはそれと思えるダミーノブがあるのが微笑ましい。ホットシューではないが、軍幹部にはシンクロ接点も用意しており、当時の少年は貴重なこずかいの中からフラッシュバルブを来たるべき時まで温存したのだろう。高知の震洋部隊の悲劇も生々しい頃の話だ。
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 本カメラは数あるボルタ判カメラの中でも成功した部類である。その証拠に、多くのかつての20世紀少年の方々の熱いコンテンツを目にできる。ボルタ判カメラは60年代になって徐々にライカ判普及カメラにニーズを奪われていく。直接競合したのは59年に登場したオリンパスペン(初代)であろう。この名機を詳細に述べるのは避けるが、シャッターも絞りもフォーカスも設定可能なちゃんとしたカメラが6000円だと、価格帯が1/3程度でもおもちゃ同然のボルタ判カメラの立場は厳しくなる。当時の3000円が現在とは価値が異なるとしても、カメラとしての出来は天と地ほども違うのだ。このボルタ判カメラからオリンパスペン(EE)への装備転換については、キヤノンAシリーズで著名なBAISON殿がリアルタイムで興味深いコンテンツを掲載なさっている。
 ボルタ判カメラはフィルムがライカ判フィルムを流用できるので16mmや110判よりハードルが低い。目下の悩みはパトローネに入ったフィルムだと余りが出来て損した気分になることだ。もっとも、これについてはKOH殿からフィルムローダの供与を受け、長巻フィルムの導入が現実化したので解決するかもしれない。
 気をよくして16mmカメラにまで手を出してしまい、乾板カメラといい純粋な写真表現の道から大きく外れて帰り道が分からない状態である。もっとも、そんな道を歩いていたかは始めから疑問なのだが。

 
 撮影結果(モノクロ編その1)もご覧頂きたい。

(了:2011/10/28)

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